父の認知症 7
最後に、身内に認知症患者がでて感じたこと、気付いたことを書きたいと思う。
全ての家庭、全ての患者にあてはまるわけではないが、
他の病気と違い、この病気は患者より家族が苦しむ病気なので、
一つでも同じ境遇の方の支えになってもらえればと思います。
まず初めに、認知症になる前段階として検査を受けること。
今の薬はかなり効くらしいが治すことはできない。
だがかなり初期の段階だと快方に向かう場合もあるようだ。
仕事を辞めた、定年前後の年齢になった、少しでも会話や行動に違和感を感じたら
病院に連れて行ってほしい。
ほとんどの人は病院に行くと言っても聞き入れないが、
健康診断や、年だから一緒に検査を受けに行こうといった感じで。
次に認知症と診断が出た場合。
進行具合にもよるが、医師の診断で運転免許の返納となる。
説明して返納してくれればいいが、まず素直に返納することはない。
人にケガをさせてからでは遅い。
最終的には無理やりにでも免許を返してもらうことになる。
私がやってよかったと思うことは返納の時を動画に残したこと。
本当は病院で医師と面談しているところも撮りたかったのだが、休みが合わず断念。
後から、警察が来た、病院に通っていると言っても本人の記憶はゼロ。
ゼロ=未経験ということになり、私たち家族が嘘をついていると思うらしい。
記憶になくても動画で見せられると、少なくても瞬間だけは理解する。
短期記憶からどんどん無くなっていくため、
同じことを動画を見せてなんども話せばいずれは長期記憶にならないかな(笑)という
素人考えだが、少なくとも免許を返納したということは覚えてくれた。
◎認知症患者の傾向
・すぐ起こる、怒鳴る
・怠け者になった(実際は怠けているのではなく、何をすればいいかわからない)
・常に何かを探している
・情緒不安定
・被害妄想
・TPOに合わせた服を着ることが出来ない。
・使ったものを元の場所に戻せない
◎家族の対応 (私達家族の対応)
・何かを説明する場合でも感情的にならない
・確定したら運転免許返納の手続き
・市町村から介護認定を受ける
・重要な場面は動画に残し、言い争う前に動画を見せる
・警察からの行政処分の用紙や病院からの診断書などは、コピーを取って壁に貼っておく
・警察、病院からの用紙と一緒に、病気のこと、運転できないことを簡潔に紙に書き貼っておく
ついボケる前と同じように接してしまいがちですが、
説明しても、考え、理解することが出来ません。
それと自分たちだけで抱え込まず、どんどん近所や知人へ話してください。
介護は、いかに介護する側の負担を減らすかにあると思います。
私の父のように体が普通に動くうちに発症すると、家族は大変だと思います。
介護者が倒れないように適当にあしらっていきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
スポンサーサイト
父の認知症 6
免許を返納し家に帰宅したが、
すでにさっきあった出来事や言われたことを忘れかけていた。
免許を返したことは覚えていたが、
警察は何をしに来たのか、なぜ免許を取られたのかはもはや記憶にはないようだ。
車に乗るからカギをよこせ➞警察が来て返納したことを説明➞なぜ免許返納になった
➞病気の説明をする➞自分はどこも悪くない➞病院に通っていることを伝える➞
病院に行っている自覚はない➞再び病気と通院していることを説明➞
仕事が出来ないと騒ぐ➞数年前からほとんど仕事がない状況を説明➞
仕事がないから営業しなければいけない➞”会話の頭に戻る”の繰り返し。
終いには「無免許だろうが自分の判断で乗るからお前たちには関係ないだろ!」という始末。
無免許と分かってて乗せれば家族も処分されることを説明しその場を濁す。
仕事もなく毎日軽トラで走り回り、知り合いのところによって世間話をしてるだけだが
本人にその自覚はなく、認知症が始まったころのままの記憶のようだ。
あの人は仕事が減ってきて会社を辞めた、あの人は歳だから会社を辞めたなどと言うが、
自分が言われると屁理屈を言って人の話は聞かない。
昔からの性格がボケてさらに強くなった感がある。
免許返納の翌日の朝から同じやり取りの繰り返し。
しかもすでに警察が来たことを覚えていない。
「警察来たの覚えてない?」
「覚えてる」
「男性だった?女性だった?」
「男の人」
「女性の警察官だよ」
「・・・・・」
録画してDVDに焼いておいた昨日のやり取りを見せる。
テレビに会社の事務所と自分が映っていても説明しないとドラマだと思っていたようだ。
DVDを見終わると、なぜ返納しなければいけないなどの一連のやり取りがありまた一から説明するが、
数分の説明の間にDVDを見たことを忘れている。
ハッキリ言ってこっちの気が狂いそうだが、
彼は忘れるんじゃなく毎回が一回目、父の格好をした違う人という風に考えるようにして
出来るだけ感情を抑え事務的になろうと思っている。
感情的に喋っても認知症の人からすれば、
「なんで初めてする話を怒りながらするんだ?」
としか思わないだろう。
一生懸命になってはいけない。
父の認知症 5
父には警察が来ることを伝えていたが案の定忘れていたようで、
警察からの電話で会社に戻ってきた。
このような案件を担当してるであろう女性警察官が一人で来ていた。
事務所のテーブルに警察官と父が向かい合って座り、
私と母は少し離れた場所から見ていた。
後から考えると、母や私が同じ席に着かず父と警察が面と向かって話したのが、
一瞬ではあれ自分の問題だと考えさせれたと思う。
警察官が父に医者から出ている診断書のこと、
それに伴って免許が一年間の停止となることを説明していた。
一年間の停止と聞いて、私は???と思ったが、
何度説明しても覚えていない、理解できない人に警察が来て免許を取り上げると、
現に私の父も警察からの電話で事前に説明を受け当日の免許返納となったが、
父 「急に来てそんなこと言われても」
警 「事前に電話して説明しましたよね?」
父 「・・・・」
警 「電話で話している感じでは理解されていないようでしたけど。」
治ることのない病気だが、それを認知症の人に説明してもしょうがない。
その場だけでも納得してもらい、大人しく免許を出してもらうためだろう。
実はこの警察と父のやり取りをスマホで一部始終録画していた。
病院での医者とのやり取りも録画したかったのだが、タイミングが合わず行けずじまい。
何度説明しても忘れ、納得してもその時だけ。
実際に自分が写ってる動画を見せた方がいいのかもと思っていた。
録画したものはPCに取り込みDVDに焼いておいて、
いつでも居間のプレーヤーで見れるように。
警察官に対して、「免許取られたら仕事できないじゃないか」とか
「年よりには全員にこんなことしてるのか」と言いその都度説明を受けていたが、
いちいちにまともの相手していてもしょうがないのであろう。
一通り父に説明し、カギを渡さない、絶対運転させないことを私達に念押しして、
書類にサインをもらって帰って行った。
このような人を何人も相手にしているであろう警察官は、
淡々と説明し父が質問すればきちんと答え、多少事務的ではあるが好感の持てる対応だった。
感情的になるのが認知症相手には一番困る。
これで免許はなくなり運転が出来なくなると同時に仕事も出来なくなったため、
倉庫に車を入れ施錠し、家に戻ることにした。
父の認知症 6 へ続きます。
父の認知症 4
免許センターからへ書類を郵送してから数日後。
警察から電話が来た。
後日、免許失効(行政処分)についての書類が郵送されるが、その書き方などについての説明だ。
そのため、違反者に対して異議申し立ての機会がもたれている。
「あの違反はこういう事情があったためしょうがなかった。」
「街路樹に隠れて標識が見えなかった」
など自分に非がない、軽くしてもらおうと思う人が意見をいう場がある。
”〇月〇日に××で意見の聴取を行います。
参加する、参加しないどちらかに印を付けて返信してください”
参加しなかったり期日までに返信しなければ、意見がないとみなされそのまま処分が下る。
私の父も行政処分扱いとなるため上記の書類が届いたが、
警察の説明では”参加しない”に印を付けて返信してくださいとのこと。
医師の診断書と家族の手続きをもって処分するだけで、
認知症の人に意見を聞いたところでしょうがないといったところか。
意見聴取が行われる日にち以降に返納にいらしてくださいと言われた。
母といつ返納しに行くか話していたが、なかなかタイミングが合う日がなかった。
話し合った中で最良のタイミングと思ったのが、
月一回の通院で医師に免許の返納のことを話しもう一度医師から説明してもらい、
その足で警察署へ行き免許の返納をするという流れ。
最後の返納の流れには私も一緒に行くつもりでいたからタイミングが合わなかった。
しかし意見聴取の日にちを何日か過ぎたころ、警察からの電話でそうもいかなくなってしまった。
行政処分である以上、いつまでも免許を持たせておくわけにはいかないということで、
こちらから明日伺いますとのこと。
母のパートの仕事が終わるのを待ち、私も仕事を一旦抜け、
午後2時に自営の仕事場の事務所で返納の手続きをすることとなった。
その時に警察から当日父への事情の説明の電話と、
2時前に「これから向かいます」の電話をお願いした。
父の認知症 5 へ続きます。
父の認知症 3
数年前から自営の会社を閉めてもらいたいと思っていた。
仕事はほとんどない。
たまに近所や知り合いから仕事が入るが、
金額にすれば数千円程度の仕事。
その仕事をするために毎月5万程度の金が経費で飛んでいく。
いくら説明しても「仕事がないから営業してるんだろ!」の一点張り。
父は仕事以外出来ることがなく、さらに認知症になると普段と違うことに不安を感じるらしい。
毎日同じ時間に同じことを繰り返す。
それだと頭を使う必要はない。
ただ、たまに仕事の依頼があった時はそういうわけにはいかない。
お客さんと打ち合わせをし、段取りを確認し、作業をしなければいけない。
そんなこんなでいよいよお客さんからクレームが入るようになってきた。
直接来ての依頼、電話での依頼に関係なく、
後日お客さんに「頼んだけど来てないんだけど~」「うちは頼んでないよ」と
私や母が言われるようになった。
毎月赤字で仕事をさせていたが、お客さんから苦情がきたらもう続けるわけにはいかない。
喋ってすぐ仕事を辞めるわけはないため、免許の失効で会社の閉店とすることにした。
以前、認知症の車の運転について免許センターに聞いたときに必要な書類は郵送してもらっていた。
ただ書類を提出してしまうと手続きが始まり免許失効となるため未提出。
この手続きに限らず、病院へ連れていく、会社を閉める、免許を失効させるなどの決定は、
若い時から父を知っていて長い付き合いである母に最終判断を任せた。
ちなみに一応説明しておくと、
免許返納は自主的に免許を返す手続きで、自治体によって様々なサービスがあるが、
免許失効は行政処分と同じ扱いになるためサービスなどは一切ない。
だったら返納させれば?と思うかもしれないが、
返納する人はまだしっかりと考えることの出来る人。
認知症の人に免許返納しろとか運転を止めろと言っても無駄。
単純に免許や車を取られると思うだけで、なぜ止めなければいけないのかなどとは考えない。
最終判断を任せた母はあっさりと免許センターから送られてきた書類に記入し、
医師からの診断書と一緒に免許センターへ送り返した。
事故を起こす可能性、お客さんからのクレーム、毎月の赤字を考えれば当然の結果だが、
「書類出したよ~」とあっさり言われたので拍子抜けしてしまった。
これであとは手続きが完了したと警察から電話が来るのを待つだけとなった。
父の認知症 2
一日のうちに同じことを何度も聞いてくることは当たり前だったが、
その都度会話は成立していた。
しかし私や母が気付いてから4年。
時々会話が成立しなくなってきた。
この頃になると、
毎年夏のうちに薪を準備し寒くなると薪ストーブを設置する昔からのこともやらなくなり、
月一回の煙突掃除もせず、燃えが悪いと薪をとにかく細かく割るようになった。
たかだか数分の会話の冒頭に話したことを覚えていない。
作業場と家が離れているのだが、多い時は十数回家に来るようになり、
「携帯・・・」「たばこ・・・」などと呟きながら来るが何も持たず出ていく。
何かをしに軽トラで家に来るんだろうが、家の前まで来て停車しそのまま戻っていく。
常に何かを探していて、戸棚や引き出しをそんなとこにあるわけないだろというとこまで開け、
見つけてもどこから出したか分からず片付けられない。
春になり薪ストーブの撤去を頼むと煙突はそのままでストーブ本体のみ撤去。
もちろん掃除などしていない。ストーブに使う小物も”なぜ?”というところに片付けてあった。
いよいよ母と強制的にでも病院へ連れていくことを考えるようになった。
認知症に気付き約5年。
母が町の健康診断と騙し検査を受けに連れていくことに。
この頃になると、昔から付き合いのある人や勘のいい近所の人は気づくように。
もしかしたらもっと前から気付いていたかもしれないが、
仲のいい人、心配してくれる人は私や母に言ってくれるようになった。
母が検査に連れて行き、問診や頭部の写真を撮り結果は後日とのことだったが、
担当医師の説明ではまず間違いなく認知症でしょうとのこと。
分かり切った答えではあったが「まさか身内に」というのが正直な感想。
後日、母だけが病院へ結果を聞きに行きアルツハイマー型認知症の確定。
それでも唯一のやることである自営の仕事を取ると一気に進行すると思い、
「年だから会社たたんだら?」という軽い言い方に抑えておいた。
どんな状態であれ、周りに迷惑を掛けなければいいと思っていた。
家族が我慢すればいい問題だと思っていた。
しかし進行すればそうもいかないことも分かっていた。
昨今、ニュースで認知症による事故が目立つこともあり、
人を轢いてからでは遅いと思い警察へ確認してみることに。
認知症と分かっていて運転させ事故をおこすと、
酒を飲んだと知っていて運転させたと同じように家族まで責任を問われる場合があるらしい。
いくら父でも自分の人生を棒に振るつもりはない。
警察の相談窓口➞警察➞免許センターと言われるままに電話を掛けたが、
最終的に手続きは免許センターとの書類のやり取りで免許の取り消しを行うらしい。
すぐに手続きへ移行するかは別として、書類を郵送してもらうことにした。
父の認知症 3 へ続きます。
父の認知症 1
いつから発症していたのかはわからないが、
私や母が気付いたのが5年ほど前。
昔から人の意見や話を聴く人ではなく、私達家族に意見されると怒り出す。
自分に非があると分かると「お前の言い方が悪い」「誰に向かって言ってる」
という風に話の論点をすり替えキレてくる。
プライドが高いくせに仕事以外何もできず特に趣味もなく、祖父に似て酒癖が悪い。
決まった仕事などはきっちりこなすが、段取りがくるったりすると俺や母に当たってくる。
この日この作業をすると決めたら人の予定などは関係なく、
むしろその日に仕事や予定が入ってる人が悪いという考え方。
人付き合いも悪く近所の集まりで飲みに出かけるくらいで、外出することはほぼ無い。
家では秋田弁でいう、
”おべたふり(知ったかぶり)”
”さがしふり(賢いふり)”
”きかねふり(強いふり)”
を地でいくタイプで、外に行けばこれが出来ないんだろうと思う。
案の定、内弁慶で近所での評判はいい。
3.11の震災の年ヘルニアの手術で入院し、その年から田んぼを人に任せ農業を引退。
それまでやってきた自営業もほとんど仕事がない状態で、
毎朝作業場へ行き、営業という名目で知り合いや得意先を軽トラで回り世間話をする日々。
ほとんど仕事の無い自営と農業を辞めたことで一気にやることが無くなり、
このあたりから認知症の進行が加速したと思う。
以前から会話の中に「わからない」という言葉が入っていたが元々物を知らない人でもあるため
あまり気にすることもなかったが、自分が言ったこと、自分がやったことを聞いてくるようになり、
こっちとしては呆れて適当に答えると「知らないから聞いてるだろ!」とすぐ怒鳴り、
震災から2年後、今から5年前くらいになると私達家族もおかしいと思い始めるように。
私や母が病院へ行くことを勧めるが、人(特に家族)から意見されるのを嫌うため無駄。
私も母も認知症だと気付きながらもこの話を出すとキレるため面倒くさくなり、
時々衝突しながらも家族が我慢すれば済む話だと思い父の好きなようにさせていた。
父の認知症 2 へ続きます。